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ー「帰ってきた」と感じた時、
​    私はもう留萌の子だった。

てらやま あい さん

登別出身。大学卒業後、就職を機に留萌へ。

​「楽しい」を追求する「るもい映画研究会」を設立、その後も「地域を楽しむ」事へ力を注ぐ。

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M O V I E S  . 

I N D E X .

I N T E R V I E W  .

はじめましてるもい

 

―留萌に移住するきっかけを教えてください

就職を機に留萌へ。「都市部の若者の目を地域に向けさせる」為の北海道のインターンシップ事業に参加した際、留萌市の「エフエムもえる」にお世話になったご縁があり、このまちへ就職・移住を決めました。

―まちの最初の印象はどうでしたか?

2月の留萌ですよ、もう最悪。(笑)

「めっちゃいい地域、いい土地だな」と感じたけれど、

同時に「私はここには住めないかも」と思いました。

―それはやはり雪と風と…?

はい。私も北海道に生まれ育ったけれど、

初めて道路脇の三角矢印が機能しているところを見ました。

これってやっぱり必要なものなんですね。

―インターンシップ時に記憶に残ったことはありますか?

一緒にインターンに来ていた子とちょっとまち歩いてみたいよね」という話になって。

朝日を見る為、朝6時にホテルのロビーへ集まり散歩することになりました。

黄金岬へ向かって歩いて行ったんですけど、丘を越え坂道を下って、

「ここのカーブを越えたら黄金岬」というところで、ざぱーん!!と波が道路まで進出してきたんです。

それを見て「やばい、帰ろう」と山のほうを振り返ったら、山影から朝日が昇ってくるのが見えました。

その時に「留萌市は山から朝日が昇るんだ」と気づいたんです。

時期にもよるけれど、出身の登別は海から昇って山に沈んでいくので…(笑)

しかもその日、「けあらし」が出ていたんです

留萌港からもくもくとけあらしが立ちのぼるなか、山の間から昇っていく朝日という

​素晴らしい景色を見られたことはいい思い出ですね。

若者がいない!友達ができない!

 

―22歳で留萌に移住し、最初に困ったことはなんですか?

最初に困ったのは、同年代の友達が出来ないという事。

会社の先輩はすごく良い人でプライベートでも飲みに行かせてもらっているのですが

こう、ため口で本当にくだらない話、コイバナとかができるような…

ただひたすらお酒を飲んで笑う、みたいな事ができる友人がなかなかできなかったですね。

―どうやって解決しましたか?

「るもい地域若者会」というものをつくりました。

月に1回、留萌地域の20-30代を集めて、

イベント1つ2つ交えつつ懇親会をして同年代の仲間を増やしました。

羽幌に行ってみたり、苫前の漁師さんに会って

とれたタコを食べさせてもらう、だとか。

―若者が少ないと言われる地域ですが、メンバー集めはどのように?

ナンパです。

当時本当に友達が居なかったので、会う人会う人に「おいくつですか?え~近いですね!今度飲みません?」

「私こういうイベントやってて人集めているので、今度声かけてもいいですか?」って。

仕事で出会った人が中心ですね、コミュニティが仕事しかなかったので。

あとは留萌の居酒屋夢物語の店主(通称:夢マス)の紹介。

常時20人くらいは集まっていました。

「同年代の人と出会いたい、輪を広げたい」という需要が多分あって、そこに対して私が「楽しい」をぶつけていたのですが…

私がしんどくなってしまって活動をやめました。

楽しいを提供したい!と思い過ぎていたのが原因かもしれません。

けど、そこで出会った方とは今でも友達ですね。

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↑るもい地域若者会にて。苫前のタコしゃぶ

仲間さがしと「るもい映画研究会」設立

―現在留萌でされている活動を教えてください

るもい映画研究会」というものを設立しまして、

今は第二・五を除く毎週水曜日にラジオ番組をやっています。

―るもい映画研究会について詳しく教えていただけますか?

2020年2月に発足した

「留萌地域の10-30代を中心に集うサークル団体」です。

名の通り「映画」を主軸にしており、映画が好き・映像作品をつくりたい

という人が集まっているんですけど、

「地域を楽しむこと」を目的に「映画」というキーワードで活動している、という感じです。

きっかけは、私が仕事で出会った女子高生に

「映画が好きで作ってみたい、けど機材も知識もないし…」と話したことがあって。

するとある日「あいさん、いつ映画やるんですか?」と言われたんです。

JKに言われるんだったら、いっちょやってみるか?と。

映画好きな友人にも声をかけて3人で始めました。

短編作品、ラジオドラマ等を制作したり、

また「地域を楽しむ」という目的から「野外上映会」を実施したりしています。

これは「るもい地域若者会」活動時の学びなんですけど、

「楽しいって人によって違って、楽しいが原動力じゃないと疲れちゃう」。

だから楽しいことしかしたくない!と代表の私が率先して言っています。(笑)

しんどいならやめよう、と。

楽しそう、この地域を楽しみたい、楽しい事をしたい、

という気持ちが少しでもある方は是非

instagramfacebookアカウントを開設しているのでそちらにご連絡ください。

今までも何名かDMを頂いて活動を見に来てくださった方が居て、現在メンバーとして活動している方もいます。

映画の話をしだすとぽかんとしているメンバーもいますので、気負わずご連絡ください。

youtubeチャンネルではラジオドラマや映画会議などもアップしていますので、そちらも見てみてください。

―大人になってから新しいコミュニティに参加するのって意外と勇気がいりますよね…

そうですね、転勤族のまちっていうのもあると思うのですが、どんなに関係を深めても3年で転勤、となると

仲を深める必要性を感じない人もいるかもしれませんね。

​探し方もよくなかったんだと思いますが、私はなかなか仲間を見つけられませんでしたし、

会社や所属団体等…既にコミュニティが出来上がっているところに突っ込んでいけなかったです。

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留萌の父、母

―留萌での印象的な出会いなどはありましたか?

私、本当に今までお世話になった留萌の方々に感謝していて。

まずこの留萌に来るきっかけを作ってくださった会社の方々に感謝です。

会社を軸にして私の世界、私の留萌が広がっていったので。

入社直後、上司の「れいれいさん」がご飯に連れて行ってくれました。

一か所が女性店長のお店「友禅」、もうひとつが40代のマスターがいる焼き鳥屋「夢物語」です。

「単身で親戚親兄弟・友達の居ない見知らぬ土地で仕事を始めるって色々つらい事があると思う。唯一繋がりのある職場の人に言えないこともあるだろう。そういう時はここの女将、マスターに相談したらいいから。きっと「留萌の父」「留萌の母」として力になってくれると思うよ」と紹介してくださったんです。

それがすごく心の支えというか、感動したのを覚えています。

実際夢物語には「ただいま」レベルで通うようになってしまい…

私が唯一ひとり呑みできる酒場です。

―上司のれいれいさんのことも教えていただけますか?

太陽みたいな人です。

いつも朗らかで、人間関係もお仕事づきあいも、仕事の進め方もすべてが暖かい人で。

私はこういう人間になりたい、と思います。

夢マスから「あいちゃんは俺とれいれいが育てたようなものだから。

俺らはあいちゃんの父親と母親だな」と言われ、

​本当にその通りだなと。育ててくれてありがとうと思っています。

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夢物語のマスター。通称夢マス

お客様からルモイジンへ

―留萌の好きな場所、時間、においを教えてください

月並みな事を言えば夕陽が綺麗、というのはありますね。

やっぱり日本海に沈む夕陽とそこにかかる夕焼け空は日によって顔が違うし、あの美しさは何にも代えがたいです。

普段の生活の中、買い物帰りなどで街中を運転していて「お、今日は夕陽が綺麗だぞ」と気づいたら

「ビーチに行くか、千望台に行くか」と考えます。

高いところから見る夕陽も同じ目線で見る夕陽もすごく綺麗なんですよね。

それに付随してゴールデンビーチも好きです。休日天気がいいと「海辺でパンが食べたい」って思うんです。

るもいのパン屋さんでパンを買って、コーヒーを買って、海辺で食べていたら

知り合いのおじさんに会って…(笑)

好きな場所で言えば「夢物語」のカウンターですね。

やっぱりあの空気感、環境で、ガハガハ笑っていたいねって思うんです。

ふたつのおじさんグループの間に座らされて

こっちがしゃべったらあっちもわ~っとしゃべりだして…

これこれ!この感じ!ってなりますね。

 

―留萌に馴染んだな、と感じることはありますか?

改めて考えると、留萌市に住民票を移してから3年間くらいはお客様だったなって思いました。

皆さんよくしてくださったし、特別冷たくされたり疎外感を感じていた訳ではないんですけど、

4年目くらいからようやく腹を割って話すというか、私も肩を組んで並んでいるんだなと感じています。

地元登別に帰省した際、下道で5時間かけて留萌へ戻ってくるんですけど

留萌に入った時「あ、帰って来たな」と思った瞬間からきっと私は留萌市民になれたんだと思います。

​「いま、帰ってきたと感じたなぁ」としみじみ。

―「留萌市民」として、まちに改善してほしいことはありますか?

広く機会を与えてほしいな、と思います。

札幌市など都心では機会が平等にあると思うんです、母数が多いというのもありますが、情報に溢れていて

検索すればヒットして、自分の思いにマッチする活動も見つかったり。

留萌に限らずですが、それが地方とよばれる地域だとなかなかたどり着けないかなという印象があります。

もっと色々な人が「やりたいです!」と声を挙げられる場所が公的にあったり、思いを叶えられる環境を

平等に、という整備を市としておこなってもらえたらな、と思います。

―これから留萌に移住する方へアドバイスはありますか?

いかにまちへ愛着を持てるかがカギだと思います。

「お客様」から「仲間」になるには一歩踏み込まなければならないし、私もそこの壁を乗り越えるのに3年かかりました。

私は特別長い方だと思うけど。

留萌に限った話ではなくて、移住する人たちみんなの課題だと思います。

「住めば都」という言葉があるけれど、いかに都を築いていけるか、自分の力で築いていくぞという気概を持てるか、というのは

とても必要な要素なのではないでしょうか。

​それを地域に住んでいる私たちがお手伝いできればと思っています。

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私のるもいらいふ

―生活するうえで大切にしていることを教えてください

いま「ここ」にいることを最大限に楽しむということです。

ショッピングセンター、映画館、ゲームセンター、ボウリング場…ハード的な楽しみはない、

けど楽しいことは自分で作っていけばいいし発掘していけばいい。それをこれからも最大限していきたいなと思っています。

吹雪に背中向けて歩くとか、強風の中ジャンプしたらちょっと前に進むとか…それ楽しいじゃん!と思います。

地元の人はこれが何年も日常にあったからこそ、楽しいと感じるのは難しいかもしれないけれど…。

もっともっと深堀して今の自分が楽しめる事を見つけていってほしいですし、

そうやって楽しんでいる人に出会えたので、その輪がもっとひろがっていけばいいなと思います。

―最後の質問です、留萌市は好きですか?

冬は厳しいし、映画館はないし…

まちが好きかって言われたら正直わからないけれど。

このまちに暮らしている人が居たから今の私がある、

その人たちがこのまちにいるんだったら、私もその人たちを大切にしたいし

それがひいては留萌市を大事にしていくということだと思います。

本当に沢山かわいがっていただいて、感謝しています。

私は留萌の子です、このまちに育てていただきました。

ご恩返しがしたい、という気持ちが大きいんです。

環境を会社に用意してもらって、「夢物語」という居場所があって、留萌に愛着を持てて、

交友関係が広がって、同年代の友達が出来て。

そして今度は私がそういう場を作りたい、と思いました。

色々な方から良くして頂いて沢山の種を頂いたので、芽を出し葉を付け、実を実らせたい、というのが今の目標です。

元々人の話を聞くのが好きなんです、私。

就職活動の時もそれが主軸にあり「メディア」という意味で「エフエムもえる」「コササル」に決めたという経緯もありますし。

​なので、人が集まる場所を作り、みんなの色々な話を聞かせてほしいし、

それを自身の活力、「楽しい」に変えていければなと思っています。

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